猫山の日記 統合失調症と闘いながら日常を描くブログ

精神を病んだ状態から、安定を求めていくブログです。最近は安定してきたので、幅広い日常についても投稿しています。応援よろしくお願いします。

統合失調症と周囲の理解 あるかないか?もしくは必要か必要でないか?

今日は、精神疾患の周囲の理解について投稿したいと思います。

 

私はずっと、周囲、特に親族に病気について理解してもらいたいと思っていました。今までのことを考えると、私がもしも「周囲の理解が必要と感じ、理解がある」としたら、病気はもっと早く良くなったのではないかなと思っています。

 

今、もしも精神疾患をお持ちのご家族がこのブログを読んでいるとしたら、理解しようとしてあげてください。その理解は、病気を良くする一つの光になると思います。

 

患者として、「理解されていない」と感じるのは苦痛です。

 

私は病気を少しでも良くしたい気持ちで毎日過ごしています。それなのに、理解してくれない家族がいる。それは苦痛でした。

 

衣食住に気を使い、運動し、睡眠をたっぷりとって、次の日には前の日よりもちょっとでもよくなっていたらいいなと思う毎日を過ごしてきました。

 

私の親は、私の病気を理解しようとする姿勢を見せませんでした。軽い気持ちといいますか?ふんわりとしか心配していないのです。例えば、車の運転。私は免許を返納したい。それなのに、免許がなくなったら親の老後はどうするんだ?といった発言をします(救急車とタクシーがあれば大丈夫)本当に私のことを心配し、理解しようと努力していたら、そんな発言はでてきません。なので、ずっと理解しない親だと悲観していましたし、ストレスでした。

 

とある日、近所を散歩していて気づいたんです。

私、誰にも理解なんてされなくていい。

自分らしく、生きたい。

人の理解はいらない。

自分が自分を理解していたらそれでいい。

 

私は今まで、理解しようとしない人に、理解の期待をしていました。それが間違いだったんです。理解なんか必要ないんです。理解できるとしたら、同じく精神疾患を持つ患者同士ではないでしょうか?そうでない人に理解なんか無理。そう気づきました。そして、理解なんか期待したって、いい結果は待っていない。

 

そんな気づきを与えてくれた運動は、すばらしいものだと思います!そして、親に対するストレスから解放されました。

 

なので、タイトルにある「(周囲の理解が)あるかないか?」は、究極のところ「ないが、理解しようとしてくれる人は何人かはいるだろう」そして、「必要か必要でないか?」は「病気の初期の段階では、(理解が)必要と感じることがあるけれど、結果的には必要ない」と思います。

 

ただ、自分の周りで精神疾患で落ち込んだり、悩んだりしている人がいたら、私は理解を示したいし、自分の経験から衣食住を整え、運動、睡眠をとるようにアドバイスします。そして、周囲に理解されなくても、そんなことどうだっていいんだと、言ってあげたい。あなたらしく生きることが一番であって、理解されることが一番ではないと思う。100人の理解より、あなた1人が自分を理解し満足する人生が大事です。

 

精神疾患があろうがなかろうが、あなたは1人の人間として、すばらしい人生を歩めばいい!!そう思います。